パキスタンの人は結婚する相手は結婚式当日初めて会うそうです。それまでは写真だけ。誰が選ぶのか聞いたら親だとか。
「え~親の言うことに従うの!?」とびっくり(@_@)して「会ってから違うと思ったりしないんですか?」と聞いたら、
「親が自分のことを一番よく知っているから」との答え。
いい年したおじさん(失礼)なのに、この従順さはイスラム教だから??と思って本を読み漁りました。
そしてわかったのは以下のようなこと。
・6歳頃まで男女一緒に育つが、それ以降は学校も男女別で、出会いの機会は親族の集まりくらいしかないこと。
・一夫多妻というが、金銭は平等に分け与えないといけないし、愛情も平等でないといけない。経済的余裕がないと二妻も
難しく、二妻目以降は前の妻に許可(?)をもらうそうです。
愛も平等って逆にストレスたまりそう。(^^;
・家では女性もヒジャブ(ベール)をとってカラフルな洋服でいること
・食事は男女別。リビングも玄関も別。
そういえばパキスタン男性Aさん宅で夕食をご馳走になった際、ちょうどAさんのお父様も来日していらして同席しましたが、唯一の女性の同国人奥さんはいつの間にかいないし、お父様は怖い顔で殆ど話さないし、Aさんもお父様に遠慮して(多分)殆ど話さないし。話を振っても続かず、もくもくと食べるしかなく、時間が長ーく感じたときがありました。💦
それは男女が食事を一緒にとらないからだったんですね。
パキスタンでは小学入学時になったら本国に帰る人が多いです。
コーランを日本では学べないこと、男女別教育が難しいからだと思います。
体育の授業で足を出したり、水着を着たりするのはイスラム教の人にとって信じられないのでしょう。
コーランを読んでいてわかったのはユダヤ教、キリスト教、イスラム教が全部同じ神様であること。
ユダヤ教は旧約聖書、キリスト教は新約聖書、イスラム教はコーランを経典とし、いずれも一神教です。
イスラム教国トルコの20代の女性に「日本は八百万の神といって神様が何にでも、例えば木にも針にも大根にも、いると考えられてるよ」
と言ったら大混乱していました。
私の英語力の問題もありますが。(^^;
マレーシアなどイスラム圏に行ったときは明け方5時くらいからアザーンというお祈りが始まる合図の音楽が鳴ります。
お客様も普段は家や会社でお祈りしているようですが、金曜日はモスクに集まるようです。
パキスタンの方は中古車貿易会社を経営している方が多く、電話をすると「これからオークションに行く」「オークションに行ってきた」とよく聞きますが、金曜日はそれが「これからモスクに行く」に変わります。
イスラム教と言えばラマダン時期の断食も有名ですね。
日の出から日の入りまで何も食べない、水も飲めない時期が1年に1か月ほどあります。
毎年ずれますが、2018年は5月から6月14日まででした。
日ごろ食べられない人へ心を重ねるためと言われ、イスラム教の人にとっては辛い時期かと思ったらなんと!楽しみだそうです。
普段会えない親戚が集まる時期で、日が暮れたら皆でワイワイ食事を一緒にとり、明け方3時か4時には起きてまた一緒に食事するので、連帯感も強まるそう。
病気の人、旅行中の人は免除されるようですが、在日のお客様はきちんと断食されているようです。
日本でも健康のため断食したり、一日一食ですませたりする人がいますが、一人では辛くとも仲間がいると続くかもしれません。
礼拝、断食、喜捨以外にハッジというメッカへの巡礼もイスラム教徒の勤めです。
ハッジの時期はハッジ専用飛行機で、パスポートに押されるスタンプもハッジと書いてあります。
メッカに着いたら男女に分かれて洋服を着替えて礼拝し、ハッジをした人はハッジャーと言われ、尊敬されるようです。
お金もかかるハッジをお客様は2回も行っていました。
イスラム教というと狂信的なISを思い出しますが、イスラムの戒律を守るお客様を見ているとイスラム教でもいろいろと思います。
イスラム教の人と結婚して後悔する?
2023/11追記
ただ、イスラム圏の人と結婚は難しいと思います。
男女別ということは女性は守られる存在であり、≒蔑視につながっています。
2021年8月、アフガニスタンから米軍が撤退後、女性は学校に行けなくなったようです。
米軍撤退後アフガニスタンを制圧している人々が女性に学問は必要ないという価値観だからのようです。
同じイスラム圏でも国によって違いはあるでしょうが、女性一人で歩けない国もあります。
父権が絶対であり、パキスタンの人と婚姻したある日本人女性は、こどもはパキスタンで育てると、こどもが6歳くらいからパキスタンと日本に離れ離れで可哀そうです。
それに逆らうこともできません。
日本では女性でも一人で安全に出歩けますし、やろうと思えば何でもできます。
その自由に慣れた日本人女性が、イスラム圏の閉そく感の中で夫の家のために自分を殺して生きることは難しいのではないでしょうか?
夫はあなたを守ってはくれません。親の言いなりです。たぶん。
想像してみてください。
日本の一番保守的な地方、一番保守的な家にお嫁に行くことを。
そこでは家の体面が一番大事です。まず家が優先され、女性の自由には振る舞えないでしょう。
それでも日本なら言葉は通じます。
イスラム圏に行ったら、言葉も通じず文化も違い、あなたが何をしたいかをそもそも理解してもらうのは難しいのではないでしょうか?
日本人同士でも結婚を維持するのは難しいです。
勿論例外はあるえしょう。だからイスラム圏の人と結婚するなら、「イスラム教徒と結婚して良かったと言える例外となってやる」、くらいの覚悟で結婚して欲しいと思います。
そしてもしあなたが、結婚したことを後悔しているとしたら。
過去は変えられません。でも将来は変えることが可能です。
何をしたら少しでも自分の望む未来に近づけるか、考えてみてください。
たとえ失敗だったと思ったとしても、失敗をプラスに変えられるのはあなた自身しかいません。数年後にあんなこともあったな、滅多にできない経験だった、と笑い飛ばせるように
自分を成長させるための糧として頂ければと思います。
2022/11追記
梅棹忠夫氏「サバンナの記録」に以下の記載を見つけました。
「死んだGの二人の妻たちも相変わらず子供を産み続けている。驚くことはない。男が死ねばその男の妻たちは死んだ男の兄弟が責任を持って面倒を見なければならない。一夫多妻制は想像するほどには不合理な制度ではない。未亡人も孤児も完全に生活が保障される仕掛けになっている。女たちが愛の独占をさえ、放棄すれば良いのである。」
一夫多妻は夫の死亡などから生まれた制度という話もあります。
日本では明治時代は家長制度をとっていて長男が家を継ぎ、戸籍上筆頭者は「戸主」となっている。その戸籍には戸主の妻子は勿論、父母、祖父母から兄弟姉妹、兄弟姉妹の嫁や子まで入っている。家で面倒みないといけなかった。
日本でも長男が亡くなったら次男の嫁になる、なども普通にあったようです。
今の戸籍が二世代しか入らないのとは大違いです。核家族。
逆にいうと、だから次男以降は分籍し、でも田畑が無ければ生活していけないので夢のハワイやブラジルと外務省に甘い言葉で踊らされ、海を渡って海外へ行ったのです。実際は棄民政策、口減らしのための政策で、田畑とは言えないような場所で大変だったようですが。
日本も以前は移民国家だったと思うと感慨深いです。
横浜みなとみらいに海外移住資料館があります。 「南北アメリカを中心とした日本人の海外移住の歴史および移住者と日系人の現在をテーマにした資料館」なので、興味ある人は行ってみては如何でしょうか?